一年に一度だけ樫野の敬老会で一緒に歌うMさんから
「11月12日午後2時40分から樫野の慰霊碑の前で
追悼歌を歌うので Sさんを誘って来て下さい。」と
連絡があった。
一体何事と思いつつ 当日樫野に行ったら 大島小学校
中学校の生徒さんたちが慰霊碑の周りのお掃除をしていた。
終わってから整列して追悼歌を歌うということで 老人会と
私たち和輪(わわ)会のメンバーが集まったということが
その時わかった。
清掃作業だということがわかっていたら もっと早く来て
手伝えばよかったねと話したものの お掃除は終わっていた。
お疲れさまでした。
樫野小学校の恒例行事だった慰霊碑の清掃は 大島小学校に
統合されてからもずっと続いている。そしてMさんたちが
小学生の頃作られた追悼歌がずっと歌い継がれているのだ。
大島小学校の先生が「いつも小学生だけで歌っていますが
子どもたちは元気はいっぱいあるけれど高音部が出ないので
今日は中学生と樫野の皆さんと一緒に歌いたいです。
高音部を思いっきり歌って下さい。」と仰った。
しばらく歌っていなかったから声が出るかな~。
青空の下で思いっきり歌うのは気持ちのいいものだ。
この歌は樫野の歌だ。
「樫野なる熊野の浦へは 老い老いし漁人(すなとりびと)ら
指さして声をひそめる 風くろく暴(あ)れの夜なりし
ああわれら とわに語らめ」 3番の歌詞です。
樫野の人たちは昔も今も人としてあたりまえのことをしたのだから
何も見返りなど求めていない。ただ黙って慰霊碑に寄り添って
静かに暮らしている。
「樫野」という地名が風化していくことが少し寂しいと思っている
けれど。合併したから仕方ないのかな。
私は慰霊碑の前で大島の小学生と中学生の子どもたちと 樫野の
老人クラブの皆さんと 和輪会のみんなと一緒に追悼歌を歌ったことが
嬉しかった。ただただ嬉しかった。