またまたお風呂で歌う歌のお話。
ずっと歌い続けている二曲の不思議なつながりを感じていた。ただ大きな違いは泣くか泣かないか・・・演歌は定番のように「泣く」そして ユーミンは泣かない。
石川さゆりの「津軽海峡冬景色」は 演歌が苦手な私なのに歌ってしまうのは あの素晴らしい三連符のせいである。三木たかしさんはすごい!と思う。[tatatatatatatatatatatata」と刻んでいくメロディは最高です。阿久悠さんの歌詞も「上野発の夜行列車」から「青森駅」の時間と距離、そして「北へ帰る人の群れは誰も無口で 海鳴りだけをきいている」そのまんまだけど深い!そこで ひとりで連絡船にのって こごえそうな鴎を見つめて泣いてしまってもしょうがないかなと思ってしまう。
北のはずれの竜飛岬の鴎と ユーミンの「海を見ていた午後」の遠くに見える三浦岬。別れたはずの男の子が窓にほほをよせてカモメを追いかけるのがテーブルごしに見えてしまうのよね。でも泣かない。「ダサいから泣かなかった」のよね。これは私よくわかる。「あの時目の前で思い切り泣けたら 今頃二人 ここで海を見ていたはず」って。そんなことできないよね。だからこの歌が好き。女の子は泣かないよ。泣くのは たぶん演歌の中の女の人。私はもうおばあさんだけど 女の子が泣くのは一人になった時 誰もいなけりゃ思いっきり泣けると思っている。
ああそうだった。「泣き」の話ではなく 岬と鴎だ。鴎は冬の鳥だから「津軽海峡冬景色」は鴎の鳴声も 胸をゆする風の音も聞こえてくる。
しばらくお休みの間に色々と思いをめぐらした。私が「津軽海峡冬景色」の中で一番好きなところは「さよならあなた~私は帰ります」と言って北の国へ帰って行くこと。泣いても追いかけないところ。
逆にわかってしまったことがあって「海を見ていた午後」の女の子は泣かなかったのに追いかけている。「未練」がここにあるなんて 都会的な洒落た情景の中に忘れられない思いがいっぱいあって 演歌より濃い~よ。
インクのにじむ紙ナプキンに「忘れないで」って書いちゃった。
青春だから いいか・・・
ソーダ水の中を貨物船が通る・・・なんて素敵な歌だから きっとこれからも私は歌い続ける。おばあさんだけど、ね。
最後に 20年前に私が作った 5・7・5.7・7 短歌のようなもの。
待つのいや 追いかけるのは もっといや 私は自由な風になりたい
今夜も歌います。「津軽海峡冬景色」と「海を見ていた午後」
どちらも別れの歌だったね~。