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熱帯夜
風が吹かない夜は 寝苦しい。なかなか寝付けず、眠れない。
熱帯夜とは 最低気温が25度以上の夜のことらしい。
連日、家の温度計は30度を超えている。昨夜は34度だった。
2006年には 気象エッセイストの倉嶋厚さんが 最低気温が
30度以上の夜は「超熱帯夜」と表現されている。

亜熱帯の島で エアコンを使わずに生活する場合、まずは
覚悟が必要だ。私たちは元々、原始的スタイルで生きてきたから
電気を使って冷やすことより 自然の風が吹き渡ることを選んだ。
しかし 最近は その風も止み 風鈴も鳴らない日が多い。
蝉の声だけが やけに大きく響く。
「暑い!」は禁句だと言っても やっぱり暑い!暑い、アツイ、ATUI!!

温度や湿度が高くて 風の吹かない夜はどうしたらいいのか。
扇風機の風を 遠くの方から当てようかと思ったけれど、弱風でも
きつく感じるのでやめて マイナスイオン発生(?)という空気清浄機を
つけてみた。 少しだけひんやりしたような気もするが 最初に寝付け
なかった夜は とうとう浅い眠りにしかならなかった。
真夏の夜が こんなに辛いなんて・・・
夜風が吹いて 家の中を通って行きますように!と祈っている。
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by paopaoy | 2007-07-30 06:53 | 生活 | Comments(0)
宝塚市野上通り4丁目
大阪梅田から 阪急電車に乗って 西宮北口で乗り換え
逆瀬川という駅で降りて 坂道をどんどん上って行くと
おばさんの家があった。
夏休みになると 妹と二人で電車に乗って遊びに行った。
記憶では 小学校5年生頃から中学3年までは 毎年
一週間から十日位滞在していた。
楽しみは 勿論「宝塚歌劇」である。その頃は「那智わたる」
「上月のぼる」が スターだった。
歌劇は その5年間は熱心に見たけれど 高校生になって
クラブ活動が忙しくなってからは 遠のいてしまった。

田舎娘にとって、夏休みの宝塚での生活は カルチャーショックの
連続だったような気がする。
おじさんは 絵描きさんだったので いつもアトリエで絵を描いていた。
生活は 洋風でハイカラだった。
おばさんは 父の従姉妹で、私は親戚の中で宝塚のおばさんが一番
好きだった。自分の意見をはっきりと言い、真っ直ぐ立って揺るがない
人だ、と思った。いつも わたしの憧れだった。

大人になって 色んなことに遭遇すると おばさんならどうするだろう
と思った。私は いくじなしで失敗ばかりしていた。
逢いたい、と思いながら 逢えない日々が続いて とうとう逢えないまま
一昨年、おばさんは亡くなった。おじさんも後を追うように昨年亡くなった。
もう 野上通り4丁目のあの家には 誰もいない。
それでも いつかまた坂道を歩いて上って 訪ねてみたいと思っている。
懐かしいおばさんのことを思いながら 歩いてみたい。 
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by paopaoy | 2007-07-28 19:39 | 土地 | Comments(1)
同窓会
8月14日に 同窓会をする為の準備をしている。
5年前に この町に帰って来た時から 出来たらいいなと考えていた。
一人ではどうにもならず 出来ないまま日が経つばかりだった。
当時、近所に住んでいたどちらも同級生の夫婦に「同窓会しようよ。」と
言ったら、彼らは こう答えた。
「私たち、毎晩二人で同窓会してるからいい。」

その後、私も思いがけなく30年ぶりに出会った同級生と一緒に暮らす
ようになって いろんなことを話し合った。
そして 「やっぱり 同窓会しようよ。」ということになり 3月ごろから
地元にいる同級生5人で集まって 計画してきた。
全く住所が分からなくなってしまった人達もいたけれど 普通科4クラス
152名に往復葉書を送った。
それから 毎日返信が届くのが楽しみだった。欠席に○をしているだけで
何も書いていない返事の中に 懐かしさが溢れるほど書き綴られた返事や
出席できないけれど「みんなに会いたいよ~」と書いてあったりした。
当日の出席は30名。ほぼ思っていたほどの人数になった。
中には 高校を卒業して以来会ったことのない人たちも遠くから来てくれる
ことになっている。
どんなおじさん、おばさんになっているのだろう。でも会ったとたんに きっと
18歳の男の子と女の子になってしまうだろう、と思っている。

町の大きなホテルでお酒を飲んで お食事という形ではなく 私達が考えた
ことは懐かしい高校(今は建て直されて 昔の面影はないけれど)を見学して、
それからすぐそばにある神社で 語り合おうということで いわゆる「同窓会」とは
違う形をとったので 戸惑う人も多いと思う。会費も3000円で質素な会になる。
懐かしい同級生たちに会えることを 楽しみにしている。
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by paopaoy | 2007-07-26 06:49 | Comments(3)
お呼び出しを申し上げます
43歳から47歳までの四年間、務めていた職場は 広島県北(備北)にある
ショッピングセンターの案内所だった。
商品券、タバコの販売と 店内の案内が 主な仕事だった為、店内放送を
することになって一番困ったのは イントネーションだった。
関西出身なので 広島の人達が聞くと とんでもないところにアクセントが
ついていて びっくりしたらしいのだ。

「ご来店のお客様に お呼び出しを申し上げます。○○さま、○○さま、
いらっしゃいましたら 一階案内所までお越しくださいませ。」

初めて 店内放送をした時、三階の事務局から走って降りて来た先輩に
「ここは 広島よ。関西じゃないんだからね。その(お呼び出し)は違うから
直しなさい。」と きつく注意された。
私の「お呼び出し」は「よ」という言葉に強いアクセントがあったのだ。
「お呼び出し」はすーっとまっすぐアクセントをつけずに言うのだと教わり
それから毎日、私は「お呼び出し、お呼び出し、お呼び出し・・・・」と
呪文のように唱えて 過ごした。
お陰様で「お呼び出し」は言えるようになったけれど、放送をする度に
冷や汗をかいていたような気がする。

今は 関西の地元に戻って 好きなようにしゃべれるけれど、案内所で
働いていた時の あの緊張感は 今は味わえない。
大変だったけど 「生きてるぞ!」と 頑張れた日々だった。
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by paopaoy | 2007-07-23 20:27 | 言葉 | Comments(0)
ソース味のラーメン
たった一度だけ、ソース味のラーメンを食べたことがある。
高校生の頃、一緒に暮らしていたおばあちゃんが 夜食に
作ってくれたのだ。
「何だか 黒っぽいスープだなぁ」と思い、一口飲めば
ソースの味。そういえば インスタント焼きそばの匂いがする。
その頃 出始めた焼きそばを おばあちゃんは ラーメンだと
勘違いして作ったのだ。
私は 残さず食べた。おなかが空いていたのと 若かったから
食べられたのだと思う。
今、手元に あの時と同じ「日清の焼きそば」が一つあるけれど
ラーメンのようにして 食べる勇気はない。

年を取るほどに 私の中におばあちゃんがいて ふとしたことで
思い出す。私は小さな子どもだったから おばあちゃんはいつも
年を取ったおばあちゃんだったけれど、私を可愛がってくれた時は
まだ 今の私と同じくらいだったんだ。
「おばあちゃんと過ごした日々」という思い出を残してくれたことに
感謝!中でも ソース味のラーメンは 強烈な思い出だ。

おばあちゃんは 私の40歳の誕生日の朝、死んだ。
私が 絶対忘れないように。
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by paopaoy | 2007-07-22 06:46 | 子どものころ | Comments(0)
アシカとオットセイ
一週間程前、新聞に ゴロンと寝ている3頭のアシカの写真が載っていた。
チラッと横目で見た私は アシカとは思わずに なすびの漬物が並んでいる
と思った。形も色も 正に「漬物」だと 乱視の老眼には そう見えた。
よーく見れば へただと思ったのは頭で 2頭のは隠れているけど 真ん中の
1頭の足鰭が出ているのが 変?と思ったら アシカだったのだ。

その後、思い出したのが 金子光晴の「おっとせい」という詩。
長い長い詩だけれど 最後のところが好きだった。
「その息のくせえこと」から始まる、その詩の最後。

 ただひとり、反対をむいてすましてるやつ。
 おいら。
 おっとせいのきらひなおっとせい。
 だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
 ただ「むかうむきになっているおっとせい。」

   詩集「鮫」(1937年)より

私はずっと「むかうむきになっているおっとせい」が好きなのだ。
鳥も獣も 人間も たぶん同じ方を向いていることで 仲間かどうか
見分けているのだと思うから。

しかし、私が見た写真はアシカで おっとせいではない。
そして、アシカとオットセイとトドと セイウチとアザラシは どう違うのだ!と
昨夜、調べてみたけれど。
アシカを なすのツケモノと見誤ったばっかりに 迷走してしまった。
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by paopaoy | 2007-07-21 06:36 | 詩歌 | Comments(0)
私のアトリエ
一畳分のピクニックシートを 部屋のすみっこで広げる。
シンプルな アトリエができる。ここは 私のお城だ。
油絵の具ではなく アクリル絵の具やクレパスを使うのは
すぐに片付けられるからだ。
理想は もちろん 描きかけの絵を そのまま置いておける
アトリエがあるといい・・・贅沢は言うまい。
私には 一枚のピクニックシートがあれば 充分だ。
ここで 色んなものを作った。
薄っぺらな つるつるすべるビニールシートだけど まるで
魔法の絨毯のように 私を想像の世界へ連れて行ってくれる。
 
何もないと いろんなことを考えたり思ったり 仕方がないので
(お金がないから・・かな) 工夫もしてみる。
なまけものの私には これくらいの刺戟があったほうがいい。
五感を使わなければ 創作などできない。
なんて 恰好のいいことを言っているけど 出来上がった
作品は お粗末様なので あまり大きいことは言えない。

作ることが 楽しければいいのだ。それだけのことだ。
人知れず 一人で遊ぶ場所がある。
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by paopaoy | 2007-07-15 07:14 | | Comments(1)
眠る家
天井が低いので 身体を垂直にしているより
水平にした方がいいと たぶん身体がそう思って
反応するのだろう。
私たちは この家にいると 横になることが多い。
最初は「なまけものやね~」と言いながら ごろごろ
していたけれど どうやらこの家は 眠る家らしい。
よく眠れるのだ。
私たちは 大きな家具も電気製品も持っていない
ので 今、眠っている部屋は がらんとしている。
(最近は 私の絵の道具が少し侵入してきている)
冷暖房もサッシもないこの部屋で 私たちは
ひたすら眠っている。

連れ合いの仕事が 朝が早いので 一緒に4時に
起きている。朝ご飯は4時半に食べる。
朝が早いと 夜も早い。
夜は 9時になると もう眠くなる。
「おじいさんとおばあさんの生活やね~」と言いながら
毎日を過ごしている。
眠れることはいいことだ。
ありがたや、ありがたや・・・
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by paopaoy | 2007-07-14 06:04 | 生活 | Comments(0)
居心地のいい場所
何時間でも 座っていられるところ。
それは 図書館だった。
本棚には たくさんの本が並んでいて
見ていると あきることがなかった。
気に入った本があれば 取り出して
椅子に座って 読み始める。

以前務めていた職場の近くに 図書館が
あったので 昼休みによく行った。
休みの日にも 行った。
図書館が 大好きだった。
色んな図書館があるけれど 好きだと
思える図書館は 空気の流れや温度や
光が ちょうどいい。
天井が高くて ゆったりしていて 懐が深い
気がする。
そこにいる人たちにも 安心感がある。

今は 図書館に行くことがない。
足が遠のいている。

居心地のいい場所、といえば ここ(自宅)かな。
小さくて 天井が低くて 連れ合いはいつも
頭をぶつけているけれど。
本も出せないまま 箱の中だけど。
熊野川町の生石文庫みたいに 本を並べて
本に囲まれて 生活できたらいいな、と思う。
居心地のいい場所は 自分たちで作っていく
ものなのだろう、ね。

 
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by paopaoy | 2007-07-12 19:34 | 好きなもの | Comments(0)
バオバブの木の下で
かつてダルエスサムールの大きなバオバブの木の下で
彼らは 絵を描き 売っていたという。
ティンガティンガ絵画は 1960年代に アフリカ、タンザニアの
ダルエスサラームの建築現場で働いていた エドワルド・ティンガ
ティンガが 60X60cmのマゾニット(建築用壁板)に 動物や
植物をモチーフに 思いつくままに エナメルペンで描き始めた。
それは 遠近感のないプリミティヴで土の味のするような絵だった。
ティンガティンガの死後、弟のムパタが受け継いで描き始めた。
そのムパタの死後は 妻のエリザ、そして弟子たちと 連綿と
続いているらしい。そういうものであるとは知らず、私はただ
ムパタの絵に出合った。
原色と野生の動物!ポップアートだ。
血沸き肉踊る・・というのか 躍動感があり こんなに楽しい絵を
描いてもいいのだ!という解放感があった。
描くことが楽しい絵は 見ていると嬉しくなる。
お行儀良く畏まって見るのではなく 極端に言えば 絵の前で
踊ったっていいじゃない・・という感じ。まさか!私は踊れなかったけど。
たとえば 展覧会で静かに見て回るのではなく そこにアフリカの音が
あってもよかったと思う。
その後、現代美術を知ったけれど 1985年にはまだ従来の絵しか
知らなかった。

サイモン・ジョージ・ムパタは 1984年に行方不明になり 後日
死亡が確認されたという。たぶん誰も知らない何処かで野垂れ死に
という理想的な(私にとっての)最期だったのだろう。
猫も象も 動物は人の知らないところに行くと聞いている。
ムパタは 野生の人だ、きっと。
 
1979年に バオバブの木の下で ムパタの絵を買って帰った
ドイツ人によって 西ベルリン(当時)で 自分の知らないうちに
東アフリカの代表作家として デビューしてしまったムパタは
絵が一人歩きしてしまったようだけど 私は ムパタはムパタ自身の
まま 死んでいったのだと 思っている。。

自然発生的に現れて 家族経営のように伝えられてきた画風は
だんだんと洗練されてきたようで 今のティンガティンガ絵画には
ムパタの絵のような 楽しさは感じられない。
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by paopaoy | 2007-07-11 20:37 | | Comments(0)
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