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カテゴリ:土地( 32 )
モエラ
モスラでもなく カエラでもなく モエラです。それは何かと尋ねたら?
「イトクラゲ」のことを串本では「モエラ」と言うのです。樫野出身の連れ合いは「クラゲはクラゲや。」だと言ってますけどね。
8月も10日も過ぎて もうすぐお盆だなと思ったら ふいに「モエラが出るから海で泳げない」と言っていた小学生時代の夏休みを思い出したのだ。その「モエラ」の正体がイトクラゲだと「串本地方の方言」に書いてあった。刺されると痛いから 子どもたちはお盆からはもう海には入らなかった。お盆になると「海へ行ったら足引っ張られるぞ!」と大人たちから脅されてもいた。そういえば もう随分と長いこと海で泳いでいない。還暦を過ぎてしまったので今更のことだけれど。

モエラを思い出したら もう一つ思い出した。それは「はっとうじ」広島県備後地方の方言で「カメムシ」のこと。広島市出身の三男のお嫁さんに聞いたら「広島市ではそう言わない。」ということで モエラもはっとうじも地域限定の言葉であるらしい。

もう一つ 書いてしまおう。「ダンゴク」私は「ダンビキ」だと思っていたのだけど。
「ひきがえる」です。こういう方言は他にもあるのかな?

ずっと それは冗談でしょうと思っていた「ウミキンギョ」が「いっとうだい、かのこうお」と書いてあって それは確かに赤い魚であろうかと思えども・・・たまげた。

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by paopaoy | 2016-08-11 20:45 | 土地 | Comments(0)
さんまさんの・・・
樫野のおかあさんと話をしていると 時々「えっ!今なんて言ったの?おかあさん。」と思う発言が多々ある。
その時聞いた言葉は「さんまさんの・・・」だった。「さんまさんって 誰?もしかして あのさんまさん?」
さんまさんって その人しかいないでしょ・・・と思って 話を聞くと 今年で86歳の連れ合いのおかあさんの生家は魚の仲買の仕事をしていたと言うことで おかあさんが子どもの頃 古座からさんまさんのおじいさんが さんまさんのおとうさんを連れて船に乗って 魚を買いに樫野に来ていたと言うのだ。
さんまさんは 私と同じ昭和30年に古座で生まれたということで 当時は隣町だった。今は合併して串本町だけど。
私が言いたいのは 樫野は古座と向かい合っているということ。樫野の裏の浜の目の前は田原だ。今は山の上のごみ焼却炉の白くて長い煙突が真正面に見える。串本なんて何も見えない。合併はしたけれど 橋も架かっていない昔は 樫野は古座と海を越えて繋がっていた。
そして 古座からさらに太地の梶取崎の方まで見渡せる。樫野の前の浜に アメリカからレディ・ワシントン号がやって来た時 下里の高芝の伊達李俊は小船に乗って レディ・ワシントン号に近づこうとした。

紀伊大島の樫野は 島の東の端にあって 海から上ってくる太陽(日の出)を見ることができる。
串本から樫野は見えない。
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by paopaoy | 2015-11-08 21:44 | 土地 | Comments(0)
芝居の道
樫野の集落に入り 浜へ下りずに真っ直ぐ進むと 道幅が少し広くなり三叉路が見えてくる。この広い道が「芝居の道」だと連れ合いが教えてくれた。その昔、まだテレビもラジオも何もない頃のこと 船でしか来ることができない小さな島の そのまた東のはずれにあるこの道で どんな芝居や歌や踊りがされていたのだろうか。

今はただの道で 三叉路の広い方の道を行くと阿野木の浜と前の浜 海金剛や日米修好記念館に続いている。時々観光客の車が通っていく。もう一方は車一台がぎりぎり通る狭い路地だ。昔は道も舗装されていなくて土の道だった。野外であるし あまり音は響かないのかなと思う。

三味線のお稽古を続けているけれど 他の人と合わせて弾けそうもないので よく冗談で一人で歩いて門付けできるようになったらいいんだけど・・・と言ったりしていた。芝居の道で三味線を弾く自分を想像してみたりする。あるいはアコーディオンを抱えて歌ってみるとか・・・できっこないけど 芝居の道には「ロマン」があると思う。「芝居の道」という言葉に「ロマン」があるのだな。

土の道の 三叉路の前で 白塗りの顔で赤いぺらぺらの着物など着て 三味線を弾いて 昔の人には考えられないような現代舞踏など踊り ストリートパフォーマンスができるくらい度胸のある人間にはとうとうなれそうもない。
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by paopaoy | 2015-11-07 21:17 | 土地 | Comments(0)
屋号を聞く
樫野で暮らしている連れ合いのおかあさんと話をしていると いつも出てくる昔の名前は屋号であるとわかっていても それがどこの家であるのか さっぱりわからないまま何年もたってしまった。
お盆も終わって 先週の日曜日からメモ帳片手に屋号を聞くことを始めた。今聞いておかないとずっとわからないままだと やっと気がついたのだ。86歳になったおかあさんは体は少し不自由になってきても 頭はとてもしっかりしていて 私のしつこい質問にもきちんと答えてくださる。

田舎の屋号というのは ほぼ先祖の名前に由来するもののようで 「jinsuke」「genngorou」「matazaemon」をはじめ 苗字を名乗ることが認められていなかった江戸時代の名前なのだろう。
後に 職業によるものも出てきている。今はその仕事を廃業していても「桶や」とよばれていたりする。

今日も午後から樫野に出かけて おかあさんの話を聞いた。地域の地図を見ながら屋号の家を確認していく。涼しくなったら 連れ合いの姪のAちゃんと地下(じげ)を歩こうと話している。複雑に入り組んでいて 私は何度も迷子になった。気がつけば同じ所をぐるぐると廻っていたのだ。帰り道がわからなくなって心細い思いをした。今度は地図を持って確認しながら歩くのだ。フィールドワークだね。楽しみにしている。

昔々 島は島だけで生活が成り立っていた。現在のように便利ではなくても それなりに工夫して心豊かに暮らしていたのではないかと思う。漁業や農業だけではなく 食料品、酒、煙草、餅、桶、鍛冶屋といろいろな店もあった。子どもたちも大勢いた。時が流れ 人びとは島を離れ 小学校は廃校となり 橋が架かって ほとんどの店は廃業となった。過疎は作られていくのだな。
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by paopaoy | 2015-08-30 20:01 | 土地 | Comments(0)
直見
「なおみ」ではなく「ぬくみ」と読む。古座川町の小川(こがわ)沿いの集落の地名である。

直見にはハッチョウトンボが生息している。体長約2cmの世界最小のトンボである。
雄はオレンジ色から赤色へと変わり 雌は黒と黄色のまだら模様で 5月下旬から6月上旬に羽化のピークを迎える。

私も13年前にこの地に帰って程なく ハッチョウトンボを見に行ったことがある。山間の湿地に 赤くて小さいハッチョウトンボが飛んでいた。他にも色んなトンボがたくさん飛んでいた。
よくは知らないけれど「ビオトープ」っていうのかな。まるで桃源郷のようだと思った。
桃源郷というのも見たことがないのだけれど。心地良い風景でありました。

その素晴らしい場所を支えている人たちがいるのである。1992年に休耕田になっていた湿田で ハッチョウトンボが確認されてから 古座川町が自然保護区として買取り 直見区民や住民団体の方々が冬場の草刈りなどをして保護活動をされているということを聞いた。

直見にはもう一つ名所がある。幹線道路沿いで「山彦」が体験できるらしい。
しかし とても厳しい条件があって「真冬の良く晴れた早朝に 500m以内に一台も車が走っていない状態で
「やっほ」と短くはっきりと ありったけの大声で叫ばなければ体験できません」・・・と言われては やっぱり
幻の山彦だわ。
古座川の支流 小川(こがわ)にかかる明神橋から 400mほど上流の 民家の少し手前で 真冬の早朝に大声を出すなんて 私にはできないわ。
ハッチョウトンボもびっくり!な話です。
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by paopaoy | 2015-03-19 21:09 | 土地 | Comments(0)
大島が見えた!
「ここは串本 向かいは大島」と歌われているけれど 
何十年も前に海を埋め立ててからは 町から海は遠くなった。
子どもの頃は 目の前に大島が見えていたのだと思う。
国道沿いに消防署が建っていて大島はすっかり見えなくなっていた。

昨年 消防署は高台に新しく作られて移転していた。
先日から古い建物はシートで覆われて 国道から二筋離れたこの店にも
激しく震動が伝わるほど壊されていた。
昨日気がつけば大島が見えていた。見晴らしが良くなったと喜ぶよりも
風当たりが強くなると思ってしまった。そして 波。もし津波がきたら
あっという間だと思った。

古座川病院はすでに壊されて平地になっていて 串本病院も跡形もない。
新しい病院は山の上でそれはいいんだけど 今まであった建物が無くなると
大きな建物だっただけに「無い」という事実が大きい現実となる。
海辺の町に吹く風は半端じゃないから 大きな建物は風除けになっていた。
すっかり何もなくなってしまったら 途方に暮れる。

大島が見えたことを単純に喜べていない現実がある。
日々 町には空き地が増えて寂しくなっていく。
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by paopaoy | 2014-02-28 13:21 | 土地 | Comments(0)
追悼歌を再び
一年に一度だけ樫野の敬老会で一緒に歌うMさんから
「11月12日午後2時40分から樫野の慰霊碑の前で
追悼歌を歌うので Sさんを誘って来て下さい。」と
連絡があった。
一体何事と思いつつ 当日樫野に行ったら 大島小学校
中学校の生徒さんたちが慰霊碑の周りのお掃除をしていた。
終わってから整列して追悼歌を歌うということで 老人会と
私たち和輪(わわ)会のメンバーが集まったということが
その時わかった。
清掃作業だということがわかっていたら もっと早く来て
手伝えばよかったねと話したものの お掃除は終わっていた。
お疲れさまでした。

樫野小学校の恒例行事だった慰霊碑の清掃は 大島小学校に
統合されてからもずっと続いている。そしてMさんたちが
小学生の頃作られた追悼歌がずっと歌い継がれているのだ。

大島小学校の先生が「いつも小学生だけで歌っていますが
子どもたちは元気はいっぱいあるけれど高音部が出ないので
今日は中学生と樫野の皆さんと一緒に歌いたいです。
高音部を思いっきり歌って下さい。」と仰った。
しばらく歌っていなかったから声が出るかな~。

青空の下で思いっきり歌うのは気持ちのいいものだ。
この歌は樫野の歌だ。
「樫野なる熊野の浦へは 老い老いし漁人(すなとりびと)ら
 指さして声をひそめる 風くろく暴(あ)れの夜なりし 
 ああわれら とわに語らめ」 3番の歌詞です。

樫野の人たちは昔も今も人としてあたりまえのことをしたのだから
何も見返りなど求めていない。ただ黙って慰霊碑に寄り添って
静かに暮らしている。
「樫野」という地名が風化していくことが少し寂しいと思っている
けれど。合併したから仕方ないのかな。

私は慰霊碑の前で大島の小学生と中学生の子どもたちと 樫野の
老人クラブの皆さんと 和輪会のみんなと一緒に追悼歌を歌ったことが
嬉しかった。ただただ嬉しかった。 
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by paopaoy | 2013-11-18 11:17 | 土地 | Comments(0)
空き地
小学校の前に古い空き家があった。それは私が小学生のころは
まだ空き家ではなかったけれど すでに何十年もほったらかしに
され 庭の木は生い茂り酷い状態になっていた。

図書館に行く途中にあるので あってあたりまえの暗い塊のような
ものだった。
ある日 草が刈られ 塀が取り払われ 木を切り倒し その家が
形として見えてきた。
古い家は なかなか立派なものだった。藪のような木々が無くなると
庭も広く 遠い昔誰かが住んでいた家だったのだと 今はもう誰も
いないのに気配を感じた。

それからしばらくして その家は取り壊された。
跡形もなく 平地になった。
空き地は 思い出も何もなく ただ空き地になって そこにある。
今 この町は空き地だらけだ。
古い家は取り壊されていく。空き地になっても新しい家が建つことも
なく どんどん空き地が増えていく。

もともと砂が溜まってできた土地だから いつか誰もいなくなって
砂に戻っていくのだろうか。
人通りの少ない商店街で過ごしていると 時々ゴーストタウンにいる
ような気がしてくる。
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by paopaoy | 2013-06-08 13:47 | 土地 | Comments(2)
紀州の紀
中上健次は「紀は記であり 木、気、鬼と分光される」と言う。
前回 私が本当に伝えたかったことは 現象としての「光と闇」
ではなく 中上さんが「紀州 木の国・根の国物語」の終章「闇の
国家」の最後に書いた「ここは輝くほど明るい闇の国家である」
という言葉。
昭和55年にこの文庫を買って読み始めてからずっと抱え続けている
言葉である。
 
単純に光が当たって明るく 夜になると灯りがほとんどなくて暗い
ということではなかった。

私は読み続けているが 中上健次はもはや地元ですら忘れられて
いくのだろうか・・・もっと光を もっと中上を!と思う。

「熊野誌第59号 中上健次没後20年記念特集号」が売れない。
少しでも 興味がある人に読んでもらえたらと思って 文庫しか
ないけど 中上さんの小説やエッセイ、対談集を置いている。
「岬」 「枯木灘」「鳳仙花」「紀伊物語」「紀州 木の国・根の国
物語」は知人に貸し出しして読んでもらった。
他にも「十八歳、海へ」「十九歳の地図」「千年の愉楽」「軽蔑」
「熊野集」「夢の力」「鳥のように獣のように」「破壊せよと
アイラーは言った」「君は弥生人か縄文人か」「ジャズと爆弾」
「俳句の時代」も置いてます。

とはいえ 私には発信力がないから ポスターを書いても何も
効果がないのだった。
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by paopaoy | 2013-05-20 17:22 | 土地 | Comments(0)
紀伊半島の光と闇
五月の光はことにまばゆいと思った。
朝の紀勢線は光の中を走って行く。
いつもなら 緑を追いかけている。
大好きな桐の木に薄紫の花が咲いている。
なのに まぶしすぎてカーテンを開けることが
できなかった。
三時間かけて北上し また三時間南下する。
紀伊半島の日帰りの旅は草臥れる。

7時23分発のくろしおに乗って 10時38分に
天王寺に着く。
本町で仕入れをして 夕方17時20分の電車に
乗って 20時23分にやっと帰り着く。

帰りはだんだん日が暮れて 天気がよければ
海に沈み行く夕日が見える。
そしてすっぽり夜になると ずっとトンネルの中に
いるような闇の世界に突入する。
紀伊半島は闇の中。
朝の光 夜の闇。電車はひた走る。

鹿に当たりませんように。猪が出てきませんように。
紀伊半島は けものみち。
海と山と 光と闇。
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by paopaoy | 2013-05-11 17:21 | 土地 | Comments(0)
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