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カテゴリ:子どものころ( 13 )
あの頃
あの頃が どの頃なのか・・・シカゴの「サタディインザパーク」を聴いていた頃・・・あるいは クリーデンスクリアウォーターリバイバル(CCR)の「雨を見たかい」を聴いていた頃・・・そしてキース・ジャレット・トリオの「マイバックペイジ」を聴いていたころ・・・岩瀬成子の「朝はだんだん見えてくる」を読んでいた頃・・・

もっと昔 私が小学校2年生になった時(54年前のこと)田舎の町で初めて出会った外国人がアメリカ人のトーマス・バトラー君だった。私のクラスにやってきた男の子は他の誰よりも背が高くて綺麗な金色の髪の毛だった。びっくりしたのは 遠足のお弁当がサンドイッチだったこと。そうして町の小さな教会の宣教師さんの御一家は生活の中から私たちに異文化というものがあることをさりげなく教えてくださったのだと思う。
トーマス君と過ごした三年間はみんなで同じように泣いたり笑ったり怒ったり のどかで楽しかったのだと思う。
どうしてこんなことを思い出したのか・・・それから5年後 私たちが高校一年生になった時 アメリカに帰ったはずのトーマス君が突然現れたのだ。私たちがやっと15歳になった頃 トーマス君は18歳になっていて「ベトナム戦争に行く前に 子どもの頃一緒に過ごした私たちに会いたかった」とやって来たのだった。トーマス君は日本語を忘れてしまって 私たちも英語を話せず 身振り手振りと片言の英語で一体何を話したのやら・・・ただ「ベトナム戦争」が他人事ではなく重くのしかかってきた感じで 私たちはトーマス君が生きて帰って来ることを祈った。
その後の消息はわからないけれど きっと生きていると信じている。

「あの頃」がたくさんある。年をとったということだなぁ。
 

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by paopaoy | 2016-10-18 00:05 | 子どものころ | Comments(2)
リヤカー
田舎では「リヤカー」だけど 辞書には「リアカー」と書いてあって (rear car-後ろの車)自転車の連結して、荷物を運ぶ二輪車・・・私が知っているリヤカーは 人が歩いて引いていく二輪車だった。
今はもう見かけることもない。
48年前 12歳になったばかりの女の子はどこから借りてきたのか記憶はないけど リヤカーに身のまわりの荷物を載せて 自宅から300メートル先にある祖父母の家に引越したのだった。
家出というには近すぎるし 白昼に自主的宿替えをしたのだと思う。
もともとおばあちゃん子だったので 中学一年から高校を卒業するまでの6年間を祖父母の家で過ごした。

始まりが「リヤカー」だったのだ。あの昔の荷車はなかなかいい形をしていたと思うに 現代の生活には合わなくなってしまったのか。そもそも自転車に連結するものだから 人が扱う時は押すではなく 引くだから 荷物をいっぱい載せると重い。それでも もう一度お目にかかりたいものだと思う。

商工会のMちゃんと 店のこれからを話し合った時、フリーマーケットや地域のイベントがある時にリヤカーに雑貨を積んで売りに行こう!という意見もあった。
リヤカーが欲しいなと思って調べたら 思いの他高価で驚いた。スマートでおしゃれになっていたし。
私のリヤカーは武骨で錆付いてギシギシしていたあの古い古いリヤカーのこと。
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by paopaoy | 2015-03-13 22:42 | 子どものころ | Comments(0)
中学時代
高校時代という言葉はよく聞くけれど 中学時代はあまり聞かないと
思いつつ 私にとっては「私の原型」を作った時期だったと思える。
 
この三年間は 絵の教室に行くこともなく過ごした。けれども出会いが
あった。中一の時 教育実習で来られた美術の先生に私は憧れた。
短い髪にシャツブラウスにスラックスの凛とした女性は 私にはとても
素敵に思えた。ずっとその人が心の中にいたので 短大を決める時に
迷いなく その人の出身校に行こうと思った。単純です。
高校生になって 串本駅に橋杭岩の絵が飾られているのを見たのだ。
それは 写生の絵ではなくデザイン化されたものだった。
田舎の高校生には衝撃だった。色も形も新鮮だった。その絵を描いたのが
橋杭出身のその人だった。
学校のことを調べて デザイン科と言わずに「意匠科」と言うところも
いいなと思った。すっかり入る気になったけど試験に受からないと話に
ならないね。その話はまた後日。

中学時代だった。私は「赤毛のアン」に出会った。
その本を貸してくださった方は 祖父が私の為にお願いした家庭教師の
英語の先生だった。私は子どもの頃から両親ではなく祖父母に育てられて
いたから 元地元の中学の初代校長の祖父は立派に教育爺でした。
でも私は勉強なんてしなくて本ばかり読んで ラジオで音楽を聴いていた。
お姉さんのようなその先生は 来られる度に「赤毛のアン」シリーズを全巻
読み終えてお返ししたら次の巻を貸してくださって 私はアンの人生を読んだ。
このことがなければ 私は本を読み続けることがなかったかもしれない。

あれからもう45年も経ってしまったけれど もしお目にかかれることが
あれば「ありがとうございます。」とお伝えしたい。

もう一人 中二の時の国語の先生もいらっしゃった。この方も女の先生で
私の作文や感想文を気に入ってくださって「これからもずっと本を読んで
作文を書き続けなさい。」と励ましてくださった。
私は何者にもなれなかったけど 本を読んで 拙い文章も書き続けています。

   ありがとうございました。
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by paopaoy | 2013-10-21 17:37 | 子どものころ | Comments(0)
鉛筆を削ること
電気鉛筆削りではなく 手回しでもなく
私が子どもの頃には 「安全」という名の
折りたたみ式の剃刀のような 小さなナイフが
あった。それで 鉛筆を削ることが楽しみだった。
 
危険なものだから 敢えて「安全」と名付けたのだろうか?
それとも 子どもたちの間での通称だったのか・・・
刃物の扱いや 人に向けてはいけないという作法なども
小さな「安全」を使うことで学んだのだと思う。
何よりも 鉛筆を削って 黒い芯を出して その先を尖らせることは 
わくわくする仕事だった。
削り方も人それぞれで 性格が反映されるような気がした。
連れ合いを見ていると きっと細長くきちんと削り上げたのだろうと
思って聞いてみたら その通りだった。
私は 決して上手ではないけれど ひたすら削って 短くしてしまう
かな?出来上がりより 過程を楽しむ。

今頃は あまり鉛筆の出番がないくらい ボールペンやサインペンが
出回っているけれど やっぱり鉛筆が好きだな。
「安全」がないので カッターナイフで削ってみた。
手はちゃんと覚えているんだな。すっと動いた。
家中の鉛筆を探して 削りたくなった。
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by paopaoy | 2008-11-26 21:16 | 子どものころ | Comments(4)
もうちゃん
子どもの頃 大好きな毛布が手放せなくて
最初は大きかった毛布が ハンカチくらいに
小さくなっても持っていた。
私が「もうちゃん」と呼んでいたその毛布は
オレンジ色の格子柄だった。

ある日、郵便局で待っている時 本棚の中に
「ジェインのもうふ」という絵本を見つけた。
かつての私と同じように なかなか毛布が
手放せない女の子のお話だった。
「ジェインのもうふ」はピンクいろ。
 作 アーサー・ミラー 
 絵 アル・パーカー
 訳 厨川圭子     偕成社 1971年3月発行

もうちゃんが好きな子どもって 世界中に きっと
たくさんいるんだな・・・と思って 安心した。

大人になった今 手放せないものがある。
それは 汗をふくタオル。
ハンカチサイズでは間に合わず 普通の大きさの
普通のタオルを いつも首にかけている。
すぐに汗臭くなるので 何枚もいるし いちいち
名前をつけて呼ぶことはできないけど 総称して
「たおるくん」には 毎日お世話になっている。
タオルのない生活は 今は考えられない。
夏の暑いときだけ・・・あぁ 何て薄情な私・・・

そういえば あんなに大切にしていたもうちゃんだって
いつのまにやら 行方不明だし・・・

絵本の「ジェインのもうふ」は だんだん小さくなって
最後には 糸になって 鳥の巣になった。という
美しい結末。

私はタオルを首にかけて 時々 もうちゃんのことを
思い出すことにしよう。 
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by paopaoy | 2008-07-27 23:36 | 子どものころ | Comments(0)
ソース味のラーメン
たった一度だけ、ソース味のラーメンを食べたことがある。
高校生の頃、一緒に暮らしていたおばあちゃんが 夜食に
作ってくれたのだ。
「何だか 黒っぽいスープだなぁ」と思い、一口飲めば
ソースの味。そういえば インスタント焼きそばの匂いがする。
その頃 出始めた焼きそばを おばあちゃんは ラーメンだと
勘違いして作ったのだ。
私は 残さず食べた。おなかが空いていたのと 若かったから
食べられたのだと思う。
今、手元に あの時と同じ「日清の焼きそば」が一つあるけれど
ラーメンのようにして 食べる勇気はない。

年を取るほどに 私の中におばあちゃんがいて ふとしたことで
思い出す。私は小さな子どもだったから おばあちゃんはいつも
年を取ったおばあちゃんだったけれど、私を可愛がってくれた時は
まだ 今の私と同じくらいだったんだ。
「おばあちゃんと過ごした日々」という思い出を残してくれたことに
感謝!中でも ソース味のラーメンは 強烈な思い出だ。

おばあちゃんは 私の40歳の誕生日の朝、死んだ。
私が 絶対忘れないように。
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by paopaoy | 2007-07-22 06:46 | 子どものころ | Comments(0)
遠足
私のアウトドアの原点は 遠足である。
子どもの頃、おぢいちゃんが連れていってくれた
野遊びが楽しかったので、今でも時々思い出す。

樫野崎、西の岡、えす崎・・・
リュックサックにお弁当を入れて、水筒を斜めにかけて
帽子をかぶって、さあ出発!

草の中を歩いたり、磯で貝をみつけたり、椎の実を拾ったり、
笹百合を見たりした。

遠足は 歩くことと思っていたので、高校生になって潮岬に
遠足に行った時、現地解散だから「バスで帰る」という友達に
「歩いて帰る」と言ってきかなくて、皆を困らせたことがある。
結局、そんなに言うなら、と 一緒に歩いて帰ってくれた皆さん
ありがとう!頑固者で、ごめんなさい。

歩きながら、話しながら、帰った日のこと、思い出す。
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by paopaoy | 2007-02-01 08:18 | 子どものころ | Comments(0)
ラジオ
今ではもう聴くことがないが、ラジオ命の時代があった。
中学生になって、祖父母の家に自分だけの部屋を持つことができた。
その時から、小さなラジオに耳を傾け始めた。勉強もそっちのけで
ラジオの音楽番組ばかり聴いていたのだ。
性能のよくないラジオから、聴いたことのない音楽が次々流れ
わたしはもう夢中だった。
時につけっぱなしで眠ってしまい、祖父にラジオを取り上げられた。
「もう二度としません。」と泣いて謝り、また何度も同じことを繰り返した。

高校生になって「オールナイトニッポン」を聴いた。今思えば、海辺の町
だから 東京からの電波を受けることができたのだろう。オープニングの
音楽と 亀淵さんの声を思い出す。時々、文化放送のレモンちゃんの声も
聴こえた。

京都の下宿で聴いたのは 近畿放送だった。
ユーミンの「ひこうき雲」を初めて聴いた。衝撃的だった。

FM放送もよく聴いた。よくjazzを録音した。
30代後半から 働き始めて ラジオを聴かなくなったのだ。
レコードがCDに変わっていったのも 同じ頃だったような気がする。
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by paopaoy | 2007-01-23 07:20 | 子どものころ | Comments(0)
ペーパームーン
papermoon
その年の お月見は 雨だった。
いつものように エレクトーンの椅子に
すすきを飾り、いもや おだんごを置いて
お月さまが出るのを 待っていた三人兄弟は
がっかりしていた。
突然 母は 何か作り始めた。
画用紙に 大きな丸を描いて 黄色く塗った。
「お月様!」
子どもたちは 喜んで お月見を始めた。

おだんごを作るのが 好きだった。
みんなで 丸や 三角、中には四角いのもある
おだんごを いっぱい作った。

毎年 お月見は 楽しみにしている行事だった。
何故か 天気が良くて 綺麗にみえたお月見
ではなく へたくそな丸い紙のお月さまのことを
思い出す。

子どもたちが 大きくなってから テレビで
「だんご三兄弟」の歌を聴いた。
あれは うちの 「だんご(作り)三兄弟」の歌だ!
と思った。

そういえば ジャズにもあった。papermoonの歌。
突然 思い出した 紙のお月さまの 話。
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by paopaoy | 2006-11-20 06:50 | 子どものころ | Comments(0)
あの素晴らしい愛をもう一度
高校2年の夏、樫野行きの巡航船に乗って
30分の航海をした。
その日は、彼の17歳の誕生日だった。
彼は、大島の東にある樫野に住んでいた。
大島は、目の前にあり 10分程の距離だった。
樫野は、遠く 海の向こうへ行くのだ、と思った。

その時、船の中で 流れていた歌は 
「あの素晴らしい愛をもう一度」
あの時、空と海の間で 聴いた その歌は
ずっと 心の底に 沈んでいたのだと思う。

歌と同じように 私たちは 離れ離れになり
それから 30年以上の歳月を 過ごしてきた。

あの素晴らしい愛をもう一度

33年間、違う道を歩いてきた。
真っ直ぐではなく、ジグザグだったり
山あり谷あり、カーブしてたから
ぐるっと回って、また逢うことができたんだ。

今、連れ合いと一緒に 大島で暮らしている。
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by paopaoy | 2006-11-03 20:01 | 子どものころ | Comments(0)
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