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カテゴリ:詩歌( 24 )
火星大接近の日
いきなりその声は聞こえてきた。目の前の受け付けの椅子に座っているおばあさんが訴えるように「その日は16年の火星大接近の日だったからよく覚えています。6月1日でした。」けれども「その日の記録はありません。」という答えに何度も何度も「火星大接近」という言葉を繰り返すので 気になって家に帰ってから調べてみた。

確かに「火星大接近」は2016年にあった。6月1日ではなく5月31日だったけれど。そして大接近ではなく中接近だったような・・・それでもそのおばあさんにとって「火星大接近」は衝撃的なニュースだったのだろう。16年と言い張った為 2016年ではなく平成16年には記録が残っていなかったらしい。

「火星」と聞いて私の心に浮かんだのは 高村光太郎の詩だった。
「火星が出てゐる」
要するにどうすればいいか、といふ問いは、
折角たどった思索の道を初にかへす。
要するにどうでもいいのか、
否、否、無限大に否。

といふ、詩。続きも書きたいところですが この辺で。あとは心の中で唱えます。

次の火星大接近は2018年7月31日だそうで 楽しみに待つことにしよう。
思いがけなく火星を意識することになった。その後 そのおばあさんを見かけたら「あ、火星大接近のおばあさんだ。」と思ふ。

追記 ふと見れば 先日8か月ぶりに図書館に行って借りてきた五冊の本の中に
「LIFE ON MARS? 火星に住むつもりかい?」という伊坂幸太郎の本があった。無意識の選択だったけれど タイトルを見てびっくり!これから読みます。



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by paopaoy | 2017-05-25 22:08 | 詩歌 | Comments(0)
風のオノマトペ
「どっどど どどうど どどうど どどう」は、もう言うまでもなく 私の中ではダントツの一位で
青いくるみも すっぱいかりんも吹きとばせ・・・なのだ。

潮岬は一年中風吹き荒ぶ所なので 風の音は「ゴゴゴゴー」なのだけれど やはり「どっどど」がいいなと思う。「ゴゴゴー」と言えば その昔、スパイダースが歌っていた。
「ゴゴゴー 風が泣いている ゴゴゴー」だったかな?風は泣くのか 笑うのか 怒っているのか。

もうひとつ好きなのは 森山良子さんが歌う「ざわわ ざわわ ざわわ」さとうきび畑を吹き渡る風の音。沖縄で一面のさとうきび畑を見た時に 次男と二人声をそろえて「あ、ざわわだ~!」と言った。頭の中で良子さんの歌声が響き渡ったのだった。

次は何故か「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」中原中也の「サーカス」だ。ブランコが揺れる音。けれども 風は吹いている。「幾時代かがありまして 冬は疾風吹きました」

風はやはり冬なのか・・・今は梅雨でありますが 岬は風が吹いてます。

そういえば「北風小僧のかんたろう」は「ひゅるるーん るんるんるんるん」だったっけ。寒そうだね~。
確かに 風が吹くと夏でも ひや~とする。潮岬は本州最南端なのに近畿地方で一番 温度が低い。熱帯夜がほとんどない。ひゅうひゅう!
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by paopaoy | 2016-06-25 21:51 | 詩歌 | Comments(0)
朗読の時間です
久しぶりに図書館に行った。なかなか読めなくなってしまって遠ざかっていた。
今回は「詩」を読むことにした。本棚に大好きな茨木のりこさんの小さな詩集をみつけたのだ。
それは「わたくしたちの成就」 そっと大切に読むことにする。

それから 三好達治の「雪」
  太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

童話屋の田中和雄さんのこの小さな詩集が私は好きです。
 
三好達治の詩は中学生の頃から声に出して読むのが好きだった。
上手に読めたら 朗読と言えるのだろうけど。

そういえば ポエトリーリーディングの会というのを開いてみたいと思ったこともあったけど
田舎にいて 人見知りなどしていたら とうとう何もできないままだった。

もう一冊。加島祥造「求めない」 これは自分に聴かせるために声に出して詠むことにする。
たった一人の朗読の時間です。
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by paopaoy | 2016-03-29 23:31 | 詩歌 | Comments(0)
夏うぐいす
84歳の私の母は 長年俳句と俳画を趣味にしていて 感心するほど真面目に励んでいる。居間にはいつも自作の色紙が何枚も飾ってある。最近見かけて気になる句があった。それは紫の菖蒲の花に添えられた句で 「山一つ 夏うぐいすの声を出す」 というもので 他の俳画の句は母の句だけれど これは・・・と思って名前を見ると「照敏句」と書いてあった。

「照敏(てるとし)さんって 誰?」 調べました。 平井照敏(しょうびん)さん。俳人の方でした。

「夏うぐいす」は「老鶯」あるいは「乱鶯」「狂鶯」ともいうらしい。うぐいすは春だけじゃないのね。そういえば今でも 時々うぐいすの声を聴くことがある。春先よりも上手に鳴くから成長したのね~と思っていたら すでに老成していたのですか。それはともかく 山一つというのがすごいと思ったのだった。

それから 照敏さんの句を読んでいたら 気になる句がまだまだあった。難しい句は苦手だけれど 照敏さんの句は 私の感性に呼びかけてくれる感じがする。

「サルビアの咲く 猫町に出にけり」
「金色の 老人に逢ふ 暮れの町」
「遠足をしてゐて 遠足したくなる」

そして これ! 「秋の夜の 足音もみなフランス語」 
照敏さんは フランス文学者の方で この句は昭和46年の作。パリでの生活がはじまった頃の フランス語
ノイローゼを思い出して作ったものらしい。「読者は全部これを美しい句と詠むようだ。それも仕方あるまい。」と書いてあった。

私は フランス語は習ったこともなければ 行ったこともない。なんとなく好きというだけで 42年前にフランス語を習っていた友人から聞いた「ケスクセとコマンタレブー」という言葉の響きが面白くて書いた文章が このブログの不動の一位になっている。
訳わからんけど それも仕方あるまい・・・かな?

これから 勝手に照敏先生の弟子になろう。もうすでにお亡くなりになっていらっしゃるけれど もっと句を読んで鑑賞したいと思っている。
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by paopaoy | 2015-06-29 23:37 | 詩歌 | Comments(0)
滅びていく道
何年か前にK君がくれた10枚のCDの中に 何度聴いても心に残る歌があった。
最初は歌の題名も歌っているのが誰なのかもわからないまま ただ聴いていた。

「生まれた時から 僕たちは 滅びていく道の上にいる」と歌っているのだ。
それは 加川良の「幸せそうな人たち」という歌だった。

そうか。私たちは滅びていく道の上にいるんだ。それはすでに生まれた時から始まっているのだと納得できる歌声だった。作詞、作曲は大塚康弘さん。

詩の中の 「青い春は石をはがし 赤い夏に石を投げた
        白い秋は石を切り出し 黒い冬に石を敷く」 というところが心に沁みる。

そういえば 堀江敏幸さんの小説で初めて読んだのが「熊の敷石」だった。
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by paopaoy | 2015-02-14 21:11 | 詩歌 | Comments(0)
二月の詩
それは「浅き春に寄せて」という立原道造の詩だった。
中学生のころに覚えた詩は 長い時を経てもふいに現われ出たりする。

    今は二月 たったそれだけ あたりにはもう春がきこえてゐる
    だけれどもたったそれだけ 昔むかしの約束はもうのこらない

    今は二月 たった一度だけ 夢の中にささやいて ひとはゐない
    だけれどもたった一度だけ そのひとは私のためにほほゑんだ

    さう!花はまたひらくであらう さうして鳥はかはらずに啼いて
    人びとは春のなかに笑みかはすであらう

    今は二月 雪の面につづいた 私のみだれた足跡・・・それだけ
    たったそれだけ・・・ 私には・・・
                       「優しき歌 1」より


今は二月 あたりにはもう春がきこえていてもいいと思うのに 年をとると春が遠い。
この詩は声に出して耳で聴くといいのだと思う。胸に響いて心に入ってくる。
そうして昔むかしの少女は おばあさんになった私に 二月の詩を届けてくれた。

 
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by paopaoy | 2015-02-08 20:52 | 詩歌 | Comments(0)
遠き山に
中学生の頃 夏休みの合宿のキャンプファイヤーで歌ったので
夏の歌かと思っていた。
「遠き山に 日は落ちて」 ドボルザークの「新世界から」より
作詞は 堀内敬三さん。
見事な文語体です。中学生がこの歌の意味がわかっていたかどうか
ただ 闇の中で燃える炎を見つめて直向きに歌っていたのだと思う。

「風は涼し この夕べ」とあるから やっぱり夏かと思えども
「遠き山に 日は落ちて 星は空を ちりばめぬ」とくると
 空気が澄んで星がきれいなのは晩秋から冬よね~。
 勝手な解釈してるけど
「心軽く やすらえば」「いざや 楽しき まどいせん」春かいな。
まどいせんって何? まどいせん 文語は難し。

ま、いいか。私はこの歌が好きです。
「旅愁」も「ふるさと」も郷愁だな~と思うけど 故郷から遠く
離れているとこみあげてくるものがある。
しかし!
11年も故郷にどっぷり浸かってしまったら あんまり有難くなく
残念なことです。
あかん。もう自分が一体何を言いたいのかわからなくなってきた。

もうすぐ夕暮れなので 一人で歌うことにしよう。

「遠き山に 日は落ちて 星は空を ちりばめぬ・・・」
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by paopaoy | 2013-12-06 16:17 | 詩歌 | Comments(0)
留守でござる
今日は朝から化粧品のセミナーがあるので 各駅停車の電車に乗って
勝浦に行った。いつも何か小説の文庫を持って行くところ 今日は
柴田翔さんの「詩への道しるべ」を久しぶりに読もうと思った。
片道40分の読書タイムと言っても ぼーっと海を見たり 山側の
木を見たりしてるけど。

今日 心に残ったのは 高橋新吉の「るす」
 
   留守と言え
   ここには誰も居らぬと言え
   五億年経ったら帰って来る

五億年も留守はできないけど 今日は私も留守。
留守と言えば
狂言のあの声が響いてくる。

  太郎冠者殿 宿にござるか 
  宿にござらば お目にかかろぞ お目にかかろぞ
  太郎冠者殿 留守でござる

あの掛け合いが面白い「呼び声」
  冠者 冠者 留守 留守 冠者 留守 冠者 留守

私の留守には 母が留守番をしてくれるけれど 誰もいない時は
店のドアにプレートをぶらさげておく。
「少しの間 留守します。配達です。」

「留守でござる」がよかったかな。
     
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by paopaoy | 2013-10-11 16:19 | 詩歌 | Comments(0)
五月の詩
高校生のころ その詩を読んだので40年経っても
5月になると その詩を思い出す。
それは 寺山修司の「三つのソネット」の中の
「少女に」
最後の三行が心に残っている。

「ぼくはかぎりなく
 おまえをつきはなす
 かぎりなくおまえを抱きしめるために」

五月の風が吹いて ふいにつきはなされた心は
遠く 遠く
いろんな思いを抱えて さまよっている。

さて 本を読みましょう。
連れ合いの本棚から抜いてきた文庫本。
寺山修司の「さかさま博物誌 青蛾館」
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by paopaoy | 2013-05-28 13:54 | 詩歌 | Comments(0)
私たちの望むものは
最近気がつけば頭の中でくるくると回っている歌がある。
「私たちの望むものは 生きる苦しみではなく
 私たちの望むものは 生きる喜びなのだ」

岡林信康さんのこの歌は 40年も前の高校生の頃に
歌っていた。なんで今頃・・・と思った。
けれども あの頃以上にひどい世の中になってしまった今
「私たちの望むものは 社会のための私ではなく
 私たちの望むものは 私たちのための社会なのだ」
ひしひしと伝わるものがある。
 
決して懐古している訳ではなく 
「私たちの望むものは くりかえすことではなく
 私たちの望むものはたえず変わってゆくことなのだ」
さらに望めば 今よりも良くなるのだろうか。

「今ある不幸にとどまってはならない
 まだ見ぬ幸せに 今跳び立つのだ!」

私が悔しいのは 欲にまみれた人たちが 私たちのささやかで
大切な生活を蝕んでいくこと。目に見えないものまで汚して
いくこと。

この歌は深い。
「与えられることではなく 奪いとることなのだ」
「あなたを殺すことではなく あなたと生きることなのだ」
そして
「けして私たちではなく 私でありつづけることなのだ」

ささやかに闘おう。私たちの命を守るために。
 
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by paopaoy | 2012-05-02 15:00 | 詩歌 | Comments(0)
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