カテゴリ
以前の記事
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
カテゴリ:成安時代( 16 )
紅い鼻緒の下駄
今では 私よりも先におばあちゃんになったのぶちゃんが短大生の頃
いつも つなぎのGパンに紅い鼻緒の下駄をはいて 学校に通っていた。
小柄な彼女に そのスタイルはとても良く似合っていた。
歩くと からんころんと音がした。
ある日、校門を入るとすぐに 事務所のおねえさんが待ち構えていて
「Oさん、学校に下駄をはいて来ないでくださいね!」
ホールを通って教室に行くのだけれど ホールの中で下駄の音が
響いてうるさい・・・というのだった。

あの紅い鼻緒の下駄をはいたのぶちゃんの姿を 今でも時おり
思い浮かべることがある。
今年、思いがけなく再会したYちゃんが いつも下駄をはいていて
同じように下駄をはいているMさんから 「絵を見に行く時 下駄では
あかん。」というコメントがあり 昔のことを思い出した。

下駄にも言い分があると思うけど 音がするのがいけないのかな。
それなら 思い切って 着物を着ていこうか!

私なんか 雨の日になると きゅっきゅっと音のする靴をはいている。
赤ちゃん靴だと 母親に指摘された。


 
[PR]
by paopaoy | 2008-07-12 21:19 | 成安時代 | Comments(1)
シュールや、なぁ・・・
18歳の時、京都でいきなり「シュール」に出会ってしまった。
見たものをそのまま描くのが「絵」だと思いこんでいた田舎娘の目に
飛び込んできたものは シュールレアリスムだったのだ。
 
「写実的な表現を否定し、作者の主観による自由な表象を超現実的に
描こうとする芸術上の方針。超現実主義。」

それを目指していた訳ではないけれど 知らないうちに浸透していったのだろう。
その頃の私たちは 何かと言うと「シュールや、なぁ・・・」
それは一体どんな絵なのだと聞かれても とても言葉では言い表せない。
ありえない絵・・・なのだった。ありえないけれども 妙に納得してしまえる
不思議な絵。

後に 井上陽水の歌を聴いて「シュールや、なぁ・・・」と思い、そのまた後に
スピッツの歌を聴いて「シュール?かもしれない・・・」と思った。

あれから もう35年も経つのだもの。シュールだって年をとったのだ。
現代美術の表現では古典になってしまったかもしれない。
それでも この田舎町では 相変わらず 俳句のように「写生」が基本で
観念的な絵は 理解されない。
赤い象を描いてしまう私の絵が怖いと言うのなら、少しは「シュール」に
近づけたかな、と 落ち込むよりは 喜ぶことにしよう。
わからなくていい。感じてもらえば それでいい。
[PR]
by paopaoy | 2008-03-09 23:37 | 成安時代 | Comments(0)
きりん草
「原っぱいっぱいの きりん草を染めよう!」
染色実験の授業のとき、田島征彦先生がそう言われたので
私は長いこと その草の名は「きりん草」と言うのだと思っていた。
確かに 黄色くて 背が高い。
「セイタカアワダチソウ」と言われているけれど やっぱり
私は 「きりん草」
秋になって 野原で見かけるようになると いつも思い出す。
軽トラックの荷台にいっぱい「きりん草」を積んで 学校まで
持ってきて みんなで 大きな鍋で グツグツ炊いて染めたこと。
媒染によって 微妙に色が違うけど 黄色く染まったのだと思う。
ここで どうしてはっきり言えないのか・・・記憶がない。
35年前のこと 私は 肝心の染色実験の授業のとき いなかった。
ワンゲルの合宿で 北山を歩いていた。
いつも 土曜の午後からの実験のとき 山に行くので 後から
「染めた布のきれっぱしでいいから 欲しいよう・・」と言っても
もらえなくて 21番教室の床にはいつくばって きれっぱしを
探していた。
だから 私の「染色実験ノート」のサンプルは しょぼい。
きりん草が セイタカアワダチソウになって アレルギーの元と
言われて 嫌われたこともあったけど 野山できりん草を見かけると
懐かしく思っていた。
こんなに暑い秋だけど きりん草が咲いていた。
[PR]
by paopaoy | 2007-10-05 21:35 | 成安時代 | Comments(0)
想像して描くこと
どうして 見たものを見たままに描けないのか、ずっと考えていた。
子どもの頃、絵を描くときは落書きというのか ぐるぐると線を描いたり
好きな色で塗りつぶしたり 制約など何もなかった。
学校に行くようになって 「こう描かなければいけない」ということを
教えられたのだと思う。だんだん好きなように描けなくなった。
大きくなるにつれて ハードルが高くなり 果実も花も風景も
そっくりに描けたら「上手」と言われることを知った。
これは 私にとっては怖いことでしかなく 絵を描く楽しみは
感じられなかった。
だから 絵を描き続けようと思ったら そういう「ねばならない」に
背を向けて 理解されなくても 自分が描きたいものを描くしかない。

ここまで来る途中で 二つのショックに遇ったことを思い出した。
一つは 17歳の夏、受験しようと思っていた学校の夏期講習で
デッサンをするのに 一人に一個のガラスのコップを渡されて
それをそのまま描くのではなく からっぽのコップなのに、中に
水が入っていると想像して 水をこぼしている絵を描くという課題
だった。そんなこと思ってもみなかったことに 初めて取り組んだ。
頭の中で コップに水を入れて、こぼすという作業を何度も繰り返した。
どんな絵を描いたのだか さっぱり覚えてないけれど・・・
色彩構成も 「今まで見たことのない花を想像して作ること」だった。
私は 線香花火がぱっと開いたようなイメージを色紙を鋏で切って
作ったような気がする。35年も前のことなので定かではないが・・・
それから チャップリンの顔写真を見て 自分なりに構成する課題は
思いっきりサイケデリックに作った。面白かった!

実際の受験の時のデッサンの課題は 未使用の歯磨きチューブを
与えられ「半分以上使ってしまった状態を想像して描け」ということだった。
その時が初めてなら きっとパニックになって描けなかっただろうなと思う。
そんな学校で学んだから そのまま描くことができないのかな?
そのものを見たら 組み立てたり はずしたり転がしたりしてから 描く。
これが 面白くて 描いているのだな。

長くなったので もう一つのショックは 次に書くことにします。
[PR]
by paopaoy | 2007-07-08 07:42 | 成安時代 | Comments(0)
こうちゃんの紅茶
こうちゃんは 本当は広子って言うんだけど 誰も「ひろ」ちゃんて呼ばなかった。
こうちゃんは 初めて会った時からずーっと こうちゃんだった。

私たち四人は 上賀茂寮305号室の住人だった。
四人部屋なんて初めてのことだったから どうなることやらと思っていたけれど
一年間は あっという間に過ぎていった。
そして 私は紅茶を飲むと こうちゃんのことを思い出す。
こうちゃんが入れてくれた紅茶は 他の誰が入れたものより一番美味しかった。
ずっと どうしてだろう?と考えた。
紅茶はいつも 皆でお金を出し合って買う「日東紅茶」のティーバッグだった。
電気ポットでお湯を沸かして、自分で入れる時は砂糖は入れない。
そう、砂糖だった。こうちゃんの紅茶には 最初から砂糖が入ってあった。
甘くて 美味しいのだ。とろりとして 何だか香りも違うような気がした。
そして こうちゃんは満面の笑顔で私たちに「召し上がれ!」と言った。
こうちゃんのエクボができる笑顔を 今でも思い出す。
卒業してから 一度も会っていないけれど 元気に暮らしているのだろうか。

こうちゃんの紅茶には きっと砂糖がどっさり入っていて こうちゃんの
優しさも どっさり入っていたのだろう。
[PR]
by paopaoy | 2007-03-21 20:20 | 成安時代 | Comments(0)
あかん いけん おえん
京都上賀茂の学生寮で 初めて出会った三人が 何やら話はじめたと思ったら
「あかん あかん」 「いけん いけん」 「おえん おえん」と同時に言った。
     「え!? おえん?」
顔を見合わせたのは 「あかん」と言った和歌山出身の私と 「いけん」と言った
鳥取出身の のぶちゃん。
「おえん」と言ったのは 岡山出身の こうちゃんだった。

「あかん」と「いけん」は通じたけれど 「おえん」は はじめて聴く言葉だった。
意味は同じなのに それぞれの地域の違う言葉(方言)を 思い切り意識した
瞬間だった。

あれから 34年経っても 「あかん いけん おえん」体験は 彼女たちの
思い出と共に 私の中にある。
[PR]
by paopaoy | 2007-03-20 20:31 | 成安時代 | Comments(0)
ケスクセ と コマンタレヴ?
英語すらおぼつかない18歳のころ、フランス語を習い始めたKちゃんが
「今日、ケスクセ と コマンタレヴ を習った。」と言った。
それが 初めて聞いたフランス語で なぜか ずっと覚えていて 全然
関係ない時に 不意に口に出てくるのだった。
その意味を聞いたかもしれないけど はっきり分かっている訳でもないのに
「ケスクセ コマンタレヴ」
いつも 二つの言葉がセットになっていた。

「ケスクセ」は [Qu`est-ce quec`est?] これは何ですか?
「コマンタレヴ」[Comment allez-vous?] 調子はいかが?
ということらしい。

それからは フランス語が気になって 習いたい、覚えたい、と思ったものの
レパートリーとして 増えた言葉は 二つだけ。
一つは 今は亡き安井かずみさんの「私生活」という本の中に書いてあった
「牛乳・天婦羅・ぱ」 安井さんが少女の頃の油絵の先生が「かずみちゃん、
パリに行って、何か解らないことに出会ったら、牛乳・天婦羅・ぱ、と言うの
だよ。」と言われたそうです。
[je ne Comprend pas] ジュ ヌ コンプラン パ 「私は解りません」

もう一つは 工藤直子さんの「ともだちは海のにおい」という本の中の
主人公のくじらが フランスに行って 覚えた言葉。「サバ」
「Cava」 やあ という挨拶のようです。

フランスは遠いな~。なかなかたどり着かない。
[PR]
by paopaoy | 2007-03-18 17:47 | 成安時代 | Comments(0)
ヨイトヨーイヤマッカドッコイサーノセ~
ずっと頭の中で渦をまいているので 流してみました。
江州音頭のお囃子です。
頭に「コラ」とか「ソラ」が付くのですが、たった一度しか
聴いたことのないこの民謡の歌は全然覚えてないのに
「ヨイトヨーイヤマッカドッコイサーノセ~」だけが 何故か
私の中に染みついてしまいました。

何かの拍子にふっと出てきて 調子をとっているのです。
お囃子というのは、歌の間に景気付けのように入ってきます。
(私はあまり民謡は知らないのですが)
さのよいよい、やっしょうまかしょうシャンシャンシャン、
あーおっちゃーやぁれ・・・とか。

江州音頭を聴いたのは 短大の新入生歓迎バス旅行で
知多半島の伊良子岬へ行った時、三人の若い男の先生たちが
カントリー&ウェスタンを歌ってくださって、最後に何故か
江州音頭だったのです。これもカントリーだわねと聴きましたが
一番心に残ったのが
「ヨイトヨーイヤマッカドッコイサーノセ~」 でした。
[PR]
by paopaoy | 2007-02-14 06:13 | 成安時代 | Comments(3)
しやけど せやけど そやけど
21番教室の片隅で なんやらもめてるらしい。
「なにしてんの?」と覘きにいくと 数人の女の子たちが
「しやけどっていうんや!」
「ちゃう。せやけどや。」
「やっぱり、そやけどやで。」
と、言い争っていた。

「そんなん どっちゃでもええやんか。」
という訳にはいかないらしい。
関西弁というと 他所の人には同じように聞こえるかもしれないけど
大阪、京都、奈良、兵庫、それぞれ違うのだ。

仲良くなるにつれて、そんなことは本当にどうでもいいことになって
いったのだと思うけれど、地元の高校を卒業して 京都の学校で 
初めて 自分とは違う言葉の言い回しに驚いたのだと 今では思う。

あの日の「しやけど、せやけど、そやけど」論争が、懐かしい。
[PR]
by paopaoy | 2007-02-13 07:14 | 成安時代 | Comments(0)
おっとぅみ、ほどきよし
その昔、機織を習っていた時の先生は 若くて私たちのおねえさんのような
周子先生でした。京都生まれの京都育ちでゆったりとした方でした。
生徒は八人。毎日、午後からバッタンバッタンと機織をするのでした。

下絵を描いて持っていくと、しばらくじーと見ていて、それからおもむろに
「織っとぅみ。」と、一言。
織り始めて、うまくいかなくなって、「どないしょう?」と聞きにいくと
「ほどきよし。」と静かに一言。

色んなことをお話したはずなのに、覚えているのは 周子先生の佇まいと
「織っとぅみ」「ほどきよし」という 雅な言葉。

昼下がりの機織教室は 八人の女の子と のっぽの周子先生と 
賑やかで 静かな 至福の時でした。
[PR]
by paopaoy | 2007-02-12 06:25 | 成安時代 | Comments(0)
トップ

つれづれ日記
by paopaoy
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
最新のコメント
メモ帳
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧