今朝、大阪に仕入れに行くので 串本駅で電車を待つ間に
「紀州浪漫」という冊子を見つけて 電車の中で読んだ。
夏号の表紙は「本州最南端を旅する 青の楽園へ。」
橋杭岩が写っていた。とても丁寧に取材していて面白かった。
けれども 古座のページを見ていて 違和感を感じた。
合併したからしょうがない・・・ではすまされない怒りのようなものを
感じてしまうのだ。
それは 「河内祭」が紹介される時、串本町、古座川町と書かれて
しまうこと。「河内祭」は 古座と古座川の祭りなのだ。
決して 串本などと書いてはいけない。
その土地の祭りは 地名と深く係わり とても神聖なものなのに
政治的に合併されると 大切なお祭りが行なわれる場所が
大雑把に扱われてしまうようで 悲しくなる。
一人一人の名前が大切なように 地名もその土地の魂のように
大切なものであったはずなのに。
合併という形で 消滅していく。無理やり変えられていく。
歴史も変えられていく。
1890年、樫野は 東牟婁郡大島村にあった。
2008年、樫野は串本に飲み込まれてしまった。
「樫野」が「樫野」として 地名が生かされることを心から祈る。
私は 串本で生まれて育った。それでも その土地の文化が
正しく受け継がれていくために 地名の表現には細やかな
配慮があることを望んでいる。
合併の大きな弊害は いつのまにか大切な地名が忘れ去られて
しまうこと。