どうして 見たものを見たままに描けないのか、ずっと考えていた。
子どもの頃、絵を描くときは落書きというのか ぐるぐると線を描いたり
好きな色で塗りつぶしたり 制約など何もなかった。
学校に行くようになって 「こう描かなければいけない」ということを
教えられたのだと思う。だんだん好きなように描けなくなった。
大きくなるにつれて ハードルが高くなり 果実も花も風景も
そっくりに描けたら「上手」と言われることを知った。
これは 私にとっては怖いことでしかなく 絵を描く楽しみは
感じられなかった。
だから 絵を描き続けようと思ったら そういう「ねばならない」に
背を向けて 理解されなくても 自分が描きたいものを描くしかない。
ここまで来る途中で 二つのショックに遇ったことを思い出した。
一つは 17歳の夏、受験しようと思っていた学校の夏期講習で
デッサンをするのに 一人に一個のガラスのコップを渡されて
それをそのまま描くのではなく からっぽのコップなのに、中に
水が入っていると想像して 水をこぼしている絵を描くという課題
だった。そんなこと思ってもみなかったことに 初めて取り組んだ。
頭の中で コップに水を入れて、こぼすという作業を何度も繰り返した。
どんな絵を描いたのだか さっぱり覚えてないけれど・・・
色彩構成も 「今まで見たことのない花を想像して作ること」だった。
私は 線香花火がぱっと開いたようなイメージを色紙を鋏で切って
作ったような気がする。35年も前のことなので定かではないが・・・
それから チャップリンの顔写真を見て 自分なりに構成する課題は
思いっきりサイケデリックに作った。面白かった!
実際の受験の時のデッサンの課題は 未使用の歯磨きチューブを
与えられ「半分以上使ってしまった状態を想像して描け」ということだった。
その時が初めてなら きっとパニックになって描けなかっただろうなと思う。
そんな学校で学んだから そのまま描くことができないのかな?
そのものを見たら 組み立てたり はずしたり転がしたりしてから 描く。
これが 面白くて 描いているのだな。
長くなったので もう一つのショックは 次に書くことにします。